現在、イタリア政府音楽大使を務めるルドヴィコ・エイナウディは1955年11月23日、トリノの名門に生まれた。祖父ルイージ・エイナウディはイタリア共和国第2代大統領を務めた経済学者、父ジュリオ・エイナウディは老舗出版社「ジュリオ・エイナウディ・エディトーレ」(現在はベルルスコーニ一族が率いる大手出版社モンダドーリ傘下)の創立者。母方の祖父ヴァンド・アルドロヴァンディはシドニー・オペラ・カンパニーを創設した指揮者/ピアニストで、名歌手エンリコ・カルーソーの声楽コーチを務めたほか、大作曲家プッチーニとも交流があった。
ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でアツィオ・コルギに作曲を師事。1982年に卒業後、同音楽院大学院生として20世紀現代音楽を代表する作曲家のひとりルチアーノ・ベリオに師事した。1982年にタングルウッド音楽祭奨学金を得たルドヴィコは、現代音楽作曲家としてのキャリアを歩み始め、いくつかの作品がIRCAM(パリ)、タングルウッド音楽祭、ニューヨーク・リンカーン・センター、ブダペスト音楽祭、フィレンツェ五月音楽祭、ミラノ・スカラ座、セントポール室内管弦楽団などで演奏された。
このまま行けばクラシックの作曲家として大成するところだが、エイナウディはそうした道を進まなかった。1960年代に多感な少年時代を過ごした彼は、当然のことながらビートルズの洗礼を受け、かなり早い時期からギターを弾き始めていたのである。彼が最初に買ったアルバムがビートルズの『リボルバー』だったというのは、非常に象徴的だ。というのも、『リボルバー』には弦楽八重奏をバックに用いた《エリナー・リグビー》があり、シタールやタブラといったインドの民俗楽器を使った《ラブ・ユー・トゥ》があり、要するに「ロック」の一言では収まりきらないアルバムに仕上がっている。そうした特徴は、後年のエイナウディにもそのまま受け継がれていく。
ロックやポップスへの愛情を断ち切ることが出来なかったエイナウディは、クラシックの作曲家として型通りのコースを進むことを止め、舞台やダンスのための音楽を手がけるようになる。ダンス作品のための音楽を収めたアルバム『Time Out』(1988)は、現時点で聴くことができるエイナウディ最初期の作品だが、ライヒやグラスの直接的な影響を感じさせるミニマル曲、師匠ベリオの作品を彷彿とさせる声楽のテープ変調、果ては80年代ならではのテクノ風の楽曲など、雑多なスタイルを詰め込んだ実験色の強い音楽となっている。
『Time Out』から2年後の1990年には、電子ハープシコードのための作品集『Stanze』を作曲(イタリアでのアルバムリリースは1992年)。エイナウディが心酔するマリ共和国の民俗楽器コラ(ハープの一種)の影響が濃厚に現れているが、1997年にイギリスでリリースされるや一大センセーションを巻き起こし、現在に至るまでヨーロッパで続くエイナウディ・ブームのきっかけを作った。アルバム『Le Onde』(1996年発表)以後はポップ、ロック、フォーク、民俗音楽の要素を取り込んだ独自の音楽スタイルを確立し、幅広い世代のリスナーの支持を獲得。2003年以降はライヴも積極的にこなし、これまでにミラノ・スカラ座やロイヤル・アルバート・ホールなど、ヨーロッパの主要ホールに出演。2008年に初来日している。(前島秀国)