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石坂敬一氏が語るビートルズ、そして赤盤、青盤の魅力
石坂敬一氏が語るビートルズ、そして赤盤、青盤の魅力
〜赤盤、青盤の日本盤初代制作担当で、現日本レコード協会会長の石坂敬一氏がその魅力を語ります〜
ザ・ビートルズが解散してから3年後の1973年、2枚組のベスト・アルバムが2セット登場しました。それが『ザ・ビートルズ 1962-1966』と『ザ・ビートルズ 1967-1970』です。世界中で爆発的セールスを記録したこの2アイテムは1993年に初CD化されましたが、ついに2010年10月18日、最新リマスターを施した高音質盤で世界同時発売となりました。
そこで、1973年、東芝EMI(現在のEMIミュージック・ジャパン)洋楽制作部にてビートルズの担当をしていた、現在は日本レコード協会会長である石坂敬一氏に話を伺いました。
『ザ・ビートルズ 1962-1966』と『ザ・ビートルズ 1967-1970』リリース当時の話だけでなく、ビートルズの誕生やブレイクの背景、なぜこのバンドが日本でも広く受け入れられているのかなど、さまざまなアングルからビートルズについて語られた、じつに興味深い内容のテキストとなっています。じっくりとお読みください。
なにがビートルズを生んだのか? (イギリスの場合)
まず、ビートルズは突然変異のように出現したバンドではない、ということです。
第一次世界大戦後、イギリスではアメリカのダンス・ミュージックがずいぶんと流行っていて、たとえばグレン・ミラーはイギリスの中流階層以上の人たちに評価されていた。そういう人たちの娯楽だったわけです。そして第ニ次世界大戦後はというと、ビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ナット・キング・コールらが、イギリスのエスタブリッシュメントの人たちに愛された。
じゃあ、イギリス国内のポップスはどうなのかというと、1950年代の終わりまでで高い評価を受けた、世界的成功を収めた、というものは皆無に等しい。たとえばロニー・ドネガン。「ロック・アイランド・ライン」はアメリカでもちょっと当たったんですが、そのあとは低迷してしまう。1960年代初めにはケニー・ボールの「モスコーの夜は更けて」、トルネイドスの「テルスター」といったイギリスの国籍を持つ音楽家がアメリカでシングル・ヒットを出したことはあるんですが、どれも単発だった。
わたしが思うには、イギリスは戦争に勝っても、おいしいところはアメリカに全部持っていかれて低調な国力になっていく。だからフランス人をライバルと思ってときどき皮肉で貶めることがあるけれど、アメリカ人に対しては傲慢な劣等感があって、そういう状況がポップ・カルチャーにもあったんじゃないかと思うんです。
1960年前後のイギリスでは、クリフ・リチャード、トミー・スティール、ビリー・フューリー、ヘレン・シャピロ、アルマ・コーガン、シャドウズといった、いわゆる芸能的な若手歌手が登場したんですが、これがほとんどといって良いほど、アメリカのエルヴィス・プレスリー以下のアイドルでしかなかった。そして、黒人音楽をやらなかった。イギリスで黒人というとジャマイカンが多いんですが、そのジャマイカのものもやらなかった。エルヴィス、エディ・コクラン、リッキー・ネルソン、ビル・ヘイリーと彼のコメッツらの影響を強く受けたことによる彼らのカヴァーか、あるいはそれに似通ったオリジナル曲しかやらなかった。だから、イギリスでは芸能的な歌手の乱舞を、極めて反抗的に見る若い学生たちが出てきたわけです。幸せそうなふりをして歌っているのは意味がない、違うんじゃないかと。そこで、アンチテーゼのカウンター・カルチャーを作りつつある人たちが、アメリカの不遇のブルースマンの音楽、リズム&ブルースを聴くようになった。そういう、マニアックなアプローチをして登場したのが、ニューカッスルからアニマルズ、ロンドンからローリング・ストーンズ、トットナムからデイヴ・クラーク・ファイヴ、そしてリヴァプールからビートルズです。
なにがビートルズを生んだのか? (アメリカの場合)
1963年、イギリスでは2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がものすごい人気だった。続いて「フロム・ミー・トゥ・ユー」、「シー・ラヴズ・ユー」で爆発した。“ビートルマニア"という言葉も生まれた。でもアメリカではまだだった。マネージャーのブライアン・エプスタインはアメリカのキャピトルにリリースしてくれと、キャピトルの当時のトップに直接電話するくらい強く訴えていたんだけど、キャピトルの腰はまだ重かった。
その1963年の11月、アメリカ人がもっとも大好きで尊敬していたアイドル的存在のジョン・F・ケネディが暗殺された。ケネディは、ケネディVSニキータ・フルシチョフ、アメリカVSソ連、アメリカVSキューバという、大変な対立を見事に乗り越えて、そして、勝った。アメリカ人は勝つ人、第一位が大好きで、ケネディは見た目もカッコイイですから、夢の大統領だったわけですけど、ダラスで暗殺されてしまうことで人々の心に空白ができてしまった。そこで、「抱きしめたい」がかかり出した。アメリカでの社会事変がビートルズにとっては追い風になったんだね。ケネディの喪失を埋めるには、いままでにない、すばらしいものでないと埋まらなかったんだろうな。
当時のアメリカは、エルヴィスは「アー・ユー・ロンサム・トゥナイト」や「サレンダー」といったメロディックできれいな曲、バラードが多かった。ポール・アンカ、リッキー・ネルソン、ボビー・ヴィントンも、みんなバラード。でもビートルズは桁違いの音量だった。荒削りだけど、アメリカが50年代の後半にロカビリーやロックンロールを生んだエネルギーを失っているときに、それとはまったく違う音楽構成、そして、その頃に失われていた若者の叫びや怒りやパワーを全部、ぎゅっと塊にしたような音だった。しかも全員が演奏して、自作自演で、テンプテーションズもドリフターズもフロントで歌うのは一人だったけどビートルズはツー・フロントメン。それは、ビーチ・ボーイズのコーラスとは違う、アメリカの人がいままで聴いたことのない野太いヴォーカルだった。ビートルズは本格的なギター・バンドの原型を作ったんだね。
それと、ビートルズは均等に見栄えが良かった。ビートルズがすごかったのは、もちろん音楽的才能がまずあり、時代のはまり方もある、ブライアン・エプスタインというマネージメントの優秀さもある、ジョージ・マーティンというバロックの研究をしていた熱心で温厚なプロデューサーの存在もあった。加えて、概して、ほどほどいい男だった、ということもある。背もだいたい同じで、4人だった。これは重要なことなんだね。昔の、4対3のテレビにおいては、4人くらいまでじゃないとなかなかスターになりにくかった。デジタル時代の16対9だと10人くらいでも大丈夫なんでしょうけど、要するに、納まりが良かったってことなんだね、ビートルズは。
ビートルズと日本
日本におけるビートルズは、まず現象が輸入された。すごいすごい、という情報ばかりが先行して、最初からレコードが大ヒットしたというわけではなかった。わたしはその1964年の初め、山野楽器でバイトをしていて、店頭ではビートルズを大宣伝していましたが、西郷輝彦の「君だけを」のほうが飛ぶように売れていて(笑)。買う、買わないでいうなら、それは1966年の来日以降だったんじゃないのかな。洋楽は、ベンチャーズのほうが売れていましたし。当時はオリコンがないですから、なにで売れているのかを判断するのかといいますと、山野楽器、新星堂、あとは百貨店に入ったレコード店での売り上げであって、ベンチャーズの「ダイアモンド・ヘッド」がどこも1位だった。「10番街の殺人」も強かった。
そういえば、当時の日本では、ジョン・レノンは松方弘樹、ポール・マッカートニーは高橋元太郎、リンゴ・スターはジャン=ポール・ベルモンドに似ているといわれていた(笑)。ジョージ・ハリスンはというと、ベストハンサムっていわれてたね。
しかし、アジアの国でいうと、日本ほどビートルズを受け入れた国はめずらしいですよ。世界的に見ても、イギリス、アメリカ、ドイツ、そして日本。その需要性は日本の伝統的な、音楽文化に対する丁寧で情熱的で正しい理解と管理があったからなんですね。
大宝律令で文武天皇が日本の伝統音楽つまり雅楽や神道楽と、中国や朝鮮半島やインドから伝わってきた唐楽、三韓楽そして林邑楽といったものを所管する雅楽寮を創設することを命令した。音楽は日本において重要なものとしてとらえられるようになった。天皇と朝廷は雅楽、大名と武将は能楽、高級僧侶は声名と、音楽を文化として意識的に採り入れていった。明治維新を経てからはというと、1887年創設の東京音楽大学ですよ。もう、音楽に対する圧倒的な支持がある国なんですね、日本は。だから外来音楽に極めて積極的な需要がある。ビートルズが情報だけで氾濫している国とは違う。去年のボックス・セットだってちゃんと売れたでしょ。他のアジアの国じゃ、ビートルズは会話に出てくることもない。
1973年、「赤」「青」の出現
1973年に「赤」「青」が出るまでのビートルズの公式ベスト盤は「オールディーズ」だけだった(イギリスでは1966年12月、日本では1967年2月リリース)。まあ、あれはあれで良いと思うんですが、ボーナストラックのような形でラリー・ウィリアムスの「バッド・ボーイ」が入っていて、全体的にはロックンロールの色が強かった。だから、「赤」「青」を待ってましたという人、多かったでしょうね。
はっきりとは憶えてないけど、当時は80万セットずつ売れたんじゃないかな? ピンク・フロイドの「狂気」と同じくらいのタイミングで発売されて、洋楽がものすごく売れていたね。会議では、全体的に「赤」が好きというスタッフが多くて、だからわたしは、「『赤』を聴いてから『青』を聴けば良い、ぜんぜん違うバンドっていうくらい違う音だから」って。「次の会議のときに印象を聴くから、嘘いったらすぐ追及するぞ」っていったら、営業は「は、はいっ!」って(笑)。
それともう一つ。70年代になっても日本のビートルズの評価は、まだアイドル・ポップに偏っていた。生きているあいだに、歴史そのものに刻まれる音楽家はそういないわけですから、イギリス基準の原理主義でプロモーションしようと考えたんです。ビートルズはすごいんだよ、と。たとえばラジオ局には、専制弾圧的にこっちが指定した曲だけをかけさせた。自由にかけさせると、どこも「イエスタディ」や「レット・イット・ビー」になっちゃうから、そういうのは許さないよ、って(笑)。ビートルズには他にも同じくらい、それ以上にすばらしい曲があったわけだから。
「赤」の時代と赤盤の魅力
「赤」は1962年から1966年。ビートルズ自体も若い、だから青春の爆発だな。喜んだり笑ったり怒ったり、というね。それが1962年から1964年。みんな若さが、エネルギーがあるから、創作意欲も旺盛だった。イギリスではアルバムは年に2枚出すという契約だったけど、いくらでもできちゃった。しかもどんどんレベルが上がっていった。アルバムでいうと、「ラバー・ソウル」(1965年リリース)。メンバーの顔がデフォルメされたジャケット写真が良いね。これが新しいビートルズの始まりだった。そして「リボルバー」(1966年リリース)。アイドルではあったけど、アイドルとの決別の時期の作品がこれですよ。「赤」は、そういう時代のビートルズだね。
大昔は自作自演なんて言葉はなかったし、ビートルズだってそう自分たちでいっていたわけじゃないけど、ビートルズと、そしてボブ・ディランの力で、シンガー・ソングライターがどんどん出てきた。そのディランのパロディでもある「悲しみはぶっとばせ」。ジョンがディランに対して、「おれだってやればできる」といっているみたいで、良いね。すごく良い曲だね。
「ノルウェーの森(ノーウェジアン・ウッド)」も良い。エレクトリックシタールの音がすごいのはヤードバーズだっていう人は多いけど、ジョージが弾くシタールも良い。シタールを採り入れたのは、時代でいうとビートルズのほうが早い。邦題も良いね。ムードがある。歌詞を読むと、“ノルウェーの家具"とか“ノルウェーの椅子"のニュアンスに近いんだけど。
「青」の時代と青盤の魅力
「青」は1967年から1970年。この時期のビートルズを“成熟"と表現する人もいるけど、ちょっと違う。誰もロックでやっていなかったことにどんどんとトライした、だからプログレッシヴな4年間というべきじゃないかな。センチメンタルな、仲間割れのことばっかり評論家は書くけど、音がすごすぎてもうやることなくなっちゃたんだね。だから解散しちゃったんだね。ジョンは「人がやることは絶対やるな、自分たちのやることが新しい音楽の始まりになる」みたいなことをいっていたけど、その意識はすごい。その意識をビートルズは音にしていたわけだから。しかも影響が大きかった。シャロン・テート殺人事件を起こしたチャールズ・マンソンは、ビートルズの「ヘルター・スケルター」を聴いたことが事件の動機だったといって、ほんとうはそんなこと関係ないんだけど、そういう、音楽以外のことに関しても大きな、社会的影響を及ぼしていった作品が「青」の時代にはたくさんあるね。
「青」にも良い曲が多い。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」と「ペニー・レイン」のシングルは発売当時(1967年)、日本ではそれほど人気が出なかった。だけどあらためてビートルズの歴史の流れを考えた上で、しかも「青」で聴くとパワーを発揮するね。
アメリカのミュージシャンが選んだベストソングが「アイ・アム・ザ・ウォルラス」だったこともある。昔は、「どうして“わたしはせいうち"なの?」って疑問を抱いて聴かずに終えちゃう人もいたけど(笑)、これも『青』で聴くとパワーがあるね。
21世紀のビートルズ
ビートルズは初めて音楽を産業として成立させた人たちで、そのビジネスにおいても、音楽面においても、大きなスタンダードを作った。それは、ジョンもポールもジョージもリンゴも超えられないし、超えられなかった。ビートルズを作った本人たちがそうなんだから、誰もビートルズを超えられない。
イギリスは世界で一番になりたいだなんてことに執着していない。ただ、存在感は維持しようと、アピールしようとしていて、それが強かったのは16世紀、17世紀。そのときのパワフルさと激しさがビートルズにはあったよね。21世紀のいまも、ビートルズは世界の音楽の規範であり続けるよ。
その意味でいうと、ひょっとしたら、あと50年は音楽の発展はないんじゃないかな。ビートルズがいなくても現在のデジタル時代はやって来たけど、ビートルズがいたらデジタルはもっと発展していたかもしれない。ジョンやポールがすごいアイデアを出したかもしれないね。