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<ショパンの生涯>

「ピアノの詩人」と言われたショパンは、ロマン派音楽におけるサロン風ピアノ作品で
新境地を開拓、わずか39年の生涯で、多数のピアノ独奏の名曲を世にのこし、同時代に生きた
作曲家や評論家からも絶賛されている。
そんなショパンは、1810年3月1日 フレデリク・フランチシェク・ショパンとして、フランス人の父親ニコラと、ポーランド人の母親ユスティナのもと、ポーランドのワルシャワ近くの村、ジェラゾヴァ・ヴォラで生まれる。(誕生日には諸説あり。教会記録では2月22日)
父親ニコラは、フランス語教師として、ポーランド貴族の家に住み込んだ後、ワルシャワ高等学校で教師となるが、その教養の高さから、貴族にふさわしい礼儀作法なども教え、まわりに文化人も多く集い、ショパンの知的教養がはぐくまれる土台を作った人物。
4歳で、母と姉のルドヴィカにピアノを習い始める。6歳で最初のピアノ教師、ヴォイチェフ・ジヴニーに習い始める。7歳の時に初めて作曲を試み、「ポロネーズ ト短調」が自費出版される。
13歳でワルシャワ高等学校に入学、16歳で卒業後、ワルシャワ音楽院に入学、エルスナーに学ぶ。
19歳で音楽院卒業後、友人たちとウィーンに旅行した際に演奏会を開き、好評を博す。その直後に
ワルシャワに独立運動が起こり、帰国せず、パリに行くことを決意。以後、フランスを中心に活躍。
パリでは、ロッシーニやシューマン、リスト、メンデルスゾーン、フランショムなどと親しくなる。
1832年2月26日、22歳でプレイエル・ホールでデビュー・コンサートを開く。ロスチャイルド男爵のサロンへ行き、貴族のピアノ教師の職を得たことで経済的基盤ができ、この頃からパリ社交界で注目を
集めはじめ、サロンやレッスンで活躍する日々が始まる。
25歳の時に、ドレスデンでマリア・ヴォジンスカと出会い、婚約するが、ショパンが結核で体調をくずし婚約が破棄される。同じ頃、作家のジョルジュ・サンドとサロンで出会う。28歳頃にはサンドとの
仲が深まり、画家で親交が深かったドラクロワが2人の愛にあふれた様子を絵に描く。2人はマヨルカ島「風の家」で過ごし、サンドが献身的に看病。その後、2人はマヨルカを離れ、フランスのノアンに滞在、この地で次々に傑作が誕生する充実した日々を送る。この後、夏はノアン、冬はパリに滞在という生活がしばらく続く。1840年、30歳の時にプレイエル・ホールでの演奏会を大成功させる。
1844年、34歳の時に、故郷ポーランドで父親が亡くなり、ショパンの体調を心配した姉のルドヴィカがパリに来て、14年ぶりの再会を果たす。1848年38歳で、プレイエル・ホールで、パリ最後の演奏会。
その後ロンドンなどを訪れるがその冬、病床に伏す。
1849年10月17日、ショパン死亡。パリのマドレーヌ寺院で葬儀が行われたあと、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬。この時、姉のルドヴィカがショパンの心臓を故郷ポーランドに持ち帰り、聖十字架教会に安置されている。

<スペシャル・コンテンツ>

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