2月に入ってからサイモン・ラトルのベルリンでの活動は目覚しい。まず2日と3日に恒例となった子供たちとのダンスプロジェクトの本番を振り、7日からは今シーズンのベルリン・フィルとの柱のひとつ、ベートーヴェンチクルスの第1弾がいよいよ始動。その合間の9日午前中にはハンス・アイスラー音大のオーケストラを振って、ハイドンのロンドン交響曲の公開リハーサルを行い、その翌週にはもう次のベートーヴェンチクルスという具合で、ベルリンだけで9回の本番というフル回転ぶりだ。さすがに疲れがたまったのか、ベルリン国際映画祭でワールドプレミエを迎えたベルリン・フィルの新作映画「TRIP TO ASIA」の記者会見を急遽キャンセル、翌日に延期する出来事もあった。
さて、ベルリン・フィルの音楽監督就任後6シーズン目にして初めて挑むラトルのベートーヴェンの交響曲チクルス。両者にとって機は熟したというところだろうか。2月と4月の計5回にわたるこのシリーズでは、「二重ポートレート」と題してベートーヴェンの交響曲にヴェーベルンのオーケストラ作品を組み合わせるところが、まことにラトルらしい。第1回目は交響曲第2番と第3番、その間にヴェーベルンの「管弦楽のための変奏曲」が挟み込まれるというプログラムだった。
ベートーヴェンの第2はおそらくラトルがベルリン・フィルとは初めて取り上げる曲。コントラバス3本の小編成で、弦楽器はいわゆる対向配置型(この日のコンマスは安永さん)。1楽章やアレグロ・モルトの4楽章では、ラトルの体のしなやかさと瞬発力が存分に発揮される。だが、それ以上にすばらしかったのは2楽章のラルゲットで、当夜の白眉のひとつと言ってもいいほど音楽が美しく流れていた。ラトルはここではあまり指揮をせず、メンバーの自発性に任せているかのよう。一転、4楽章終結部でのppからffへの強弱の交錯では、ラトルの巧みなドライブのもと、ベルリン・フィルの一丸となった合奏力と意思疎通がフルに発揮されて、火を噴くような迫力が生み出された。
次のヴェーベルンの「管弦楽のための変奏曲」は、プログラムでは休憩前に演奏されることになっていたが、休憩後に変更された。ベートーヴェンとヴェーベルンを組み合わせることについて、今シーズンのプログラム発表の記者会見でラトルがこんなことを言っていたのを思い出す。「ベートーヴェンとヴェーベルンは古典主義的でありながら同時に革命的です。両者ともどこかとりつかれたようなところがあり、作品への没頭ぶりは必然的なものでした。われわれはこの2人の作曲家に新しい光を当てることができると考えています」。
ヴェーベルン晩年のかなり晦渋なこの変奏曲も、ラトルの手にかかると響きのクリアさと、声部間のバランスのよさとで、音に不思議な生々しさが生まれる。そのヴェーベルンの徹底して凝縮した世界から、今度はやはり少ない主題を用いつつも、そこから無限のイマジネーションで外へと拡散するベートーヴェンのエロイカへ。ヴェーベルンを聴いた後では、エロイカの冒頭の2音がより革新的に鳴り響いた気がしたから、これらを続けて演奏したことはよかったのではと思う。少なくとも筆者には、「2人の作曲家に新しい光を当てる」という意味で新鮮な音楽体験だった。
「英雄」は、すでにこのコンビが2005年のアジアツアーなどで取り上げているレパートリー。筆者は98年にラトルがバーミンガム市響と来日した際にこの曲を聴いているが、そのときは古楽奏法寄りのやや小ぢんまりした演奏だったと記憶している。イダ・ヘンデルのソロで前半に演奏されたブラームスのヴァイオリン協奏曲でのスケールの豊かさとはある意味対照的だったのだ。それに比べると今回のベルリン・フィルとのエロイカは、この名門オケのベートーヴェン演奏の伝統に敬意を払い、それに寄り添う形で作品の雄大さを引き出そうとしているかに見えた。全体的に中庸ともいえるテンポから、重心の低いベルリン・フィルのお家芸ともいえる響きがいたるところで顔をのぞかせる。終演後、見事なソロを聴かせたオーボエのマイヤーとドールを首席とするホルンパートの3人には、とりわけ大きな拍手が送られていた。
次回は「田園」と8番。ヴェーベルンと組み合わせることで際立つベートーヴェンの革新性と、ベルリン・フィルの伝統とをラトルがどう融合して私たちに提示するか、非常に楽しみだ。
2008年2月20日 中村真人 (Masato Nakamura, http://berlinhbf.exblog.jp)
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