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インタヴュー・文/小野田雄
昨年12月24日に29歳の若さでこの世を去ったフジファブリックのヴォーカル/ギターにして、ソングライターの志村正彦。あまりに急な出来事とその喪失感の大きさを前に、気持ちは混乱したまま。そんな哀しみを抱えつつ、しかし、流れる時のなかで気持ちを奮い立たせた3人のメンバーは志村が残したデモをもとにニュー・アルバム『MUSIC』を完成させた。そして、その発売前に、志村正彦を含むフジファブリックが歩んだ軌跡を辿るコンプリート・シングル・コレクション『SINGLES 2004-2009』と未発表音源や映像を収録したBOXセット『FAB BOX』が登場。それら作品を前に、長らく彼らのA&Rディレクターを務めてきた今村圭介氏がフジファブリックの歴史とエピソードを紐解いてくれた。
「僕は2002年9月に制作部へ異動になったんですけど、配属されてすぐに(当時、EMIの新人開発セクションにいた現在のマネージャー)大森さんから『アラカルト』の音源をいただいたんです。聴いてみて思ったのは、普通じゃないなってこと。歌謡曲っぽいというか、和的な要素が色濃かったし、アニソンのようにキャッチーなうえに、下北沢ではロック全盛のなか、キーボードがメンバーにいて、ファンクの要素もあった。しかも、歌い方は奥田民生さんのような“のほほん”とした感じだし、歌詞の言葉遣いも変わっていて、なかでも〈線香花火〉に衝撃を受けましたね。それで、9月27日の新宿・LOFTへライヴを観に行って、志村を紹介してもらったんです」。
バンドの魅力を要約した四季盤
2000年に結成。メンバー・チェンジを繰り返しながら、2002年10月に『アラカルト』、2003年6月に『アラモード』という2枚のインディーズ・アルバムを発表した後、その抜粋曲をリメイクしたプレ・デビュー・アルバム『アラモルト』を2004年2月にリリース。キーボードの金澤ダイスケ、ベースの加藤慎一、ギターの山内総一郎、ドラムの足立房文というメジャー・デビュー時のメンバーが志村のもとに集まっていった。
「その間、僕が最初に感じたファンクな要素はあまりなくなって、音楽性が変わっていった印象がありましたね。当初、志村は音楽が全般にすごく詳しいというわけではなく、地元の富士吉田でレコードのバイヤーの方に聴かされていたブラジル音楽と、あとユーミンだったり、民生さんだったりっていう日本のポップスが合わさって、彼の音楽は出来ていたようなんですね。それがメンバーが変わったことで、金澤とか足立が持っていたプログレッシヴな要素や、ビートルズだったりクラシック・ロックに精通していた山内の影響をものすごい勢いで吸収していったんです」。
そして、2004年4月のデビュー・シングル「桜の季節」にはじまる四季四部作をリリースしながら、同年11月にファースト・アルバム『フジファブリック』を発表した彼らは、日本的な叙情性を織り込んだ歌モノとしてのロックを一気に確立していった。
「フジファブリックは他のバンドと比べて和的な要素が強くて、出来上がってくる曲には季語が入ったものが多かったし、本人も季節と楽曲は強くリンクしていると言っていたこともあって、四季四部作を始めたんです。ただ、志村は曲を書くのが早い方ではなかったし、ストック曲があまり多くはない状態でデビューしてしまったので、曲がない状態で録音に突入してしまったんですよ。あの頃はホント壮絶で、延々とスタジオに泊まり込んでの作業は、過去一番大変なレコーディングでしたね」。
バンドの劇的な変化、そして歪み
2005年に入ると「銀河」「虹」、インディーズ時代の名曲リメイクである「茜色の夕日」という3枚のシングルをリリースしながらサイケデリック・ロックやプログレッシヴ・ロックへの傾倒を窺わせ、11月にはセカンド・アルバム『FAB FOX』を発表する。
「ファーストは志村がずっと頭の中で鳴ってたものを作る作業だったんですけど、それ以降で蓄積されたメンバーからの影響が四部作の冬盤〈銀河〉あたりから出始めたこと、それから年末の〈COUNTDOWN JAPAN〉でたくさんのお客さんを前にしてライヴをやる歓びを知ったことで、ライヴ映えする曲が徐々に出来てきて、そのままアルバムに突入していったんです。あとは〈銀河〉までプロデュースをお願いしていたGREAT 3の片寄(明人)さんの影響もありましたね。志村は個人的に片寄さんの家に遊びに行って、膨大なレコードを聴くのが楽しみだったようなので、そういった影響を吸収して劇的に進化しつつ、でも、バンドには歪みも生まれてしまった」。
その結果、翌2006年にドラマーの足立房文が脱退。以降は、城戸紘志、榊原良太、刃田綴色と、サポート・ドラマーを迎えて、活動を続けていくことになる。そして、バンドの立て直しを図った彼らは、志村以外のメンバーが持ち寄った楽曲やアイディアを採用。2008年1月にリリースされた2年2か月ぶりのサード・アルバム『TEENAGER』はバンド感を増した重厚な作品となった。
「ヴァリエーションを出していきたいという志村の意向もあって、タイプの異なる3枚のシングルをリリースしつつ、アルバムのレコーディングは志村がすべてをジャッジするというやり方ではなく、みんなで決めて、ワイワイやろうとしていました。デモの数も一番多かったのは山内、そして、金澤、志村、加藤の順で持ち寄った曲が100曲以上あって、レコーディングはすごく楽しかったんですけど、今までの作品とはバランスが確実に変わりましたね」。
新たなスタートラインに立って
2009年5月のアルバム『CHRONICLE』は、バンドとしてのクリエイションを極めた前作の反動で、志村が思い描いたパーソナルなヴィジョン、歌詞世界を徹底的に突き詰めた作品になった。
「『TEENAGER』のデモ作りの頃から機材を買い込んで、スケッチ程度の録音を始めていたんですけど、『CHRONICLE』は志村が自宅にこもって作ってきたデモがほぼ完璧な状態だったんですよ。その後、スウェーデンでレコーディングしたんですけど、自宅で作ったトラックをそのまま使うくらいにクォリティーの高いものだったので、他のメンバーがそのデモを再現するような、そんなレコーディングでしたね。志村は、曲と歌詞の出来に満足していたし、あのアルバムでもう1回スタートに立てたという気持ちを抱いていたと思います」
そして、2010年6月に行われた全10公演の〈クロニクルツアー〉、さらに全10公演の〈デビュー5周年ツアー〉を10月に終え、新作の制作準備に取りかかった矢先の12月24日、志村は志半ばでこの世を去ってしまった。その才能は、今後いろんな形で検証され、時代を超えて共有されていくはずだが、長らく彼と向き合ってきた今村氏から見た志村正彦の才能とは果たして?
「リズムもそうですし、メロディーが転調してしまうのも、彼の中ではごく自然なことだったんですよね。そういう意味で、志村には基本的な音楽の知識が最初からあったわけではなかったことが逆に良かったんじゃないかって思ってますね。活動を続けるなかで、不安に対する盾を用意するために、彼は音楽理論をちゃんと学び始めるんですけど、知識がなかったとしても、何かの影響を受けて、セオリーを越えた転がり方をする方がおもしろいんじゃないかっていう話を彼とはよくしましたね。音楽理論が気になり始めてからのコーラス録りで、金澤くんについてもらって作業していたことがあるんですけど、志村の考えたコーラスは後ろで鳴ってる音とぶつかっていたり、金澤くんにとっては理解し難い部分も多かった。でも、なんとも言えないその響き、誰にも理解できない天性のセンスこそが彼の個性だったと僕は思いますね」。
このエピソードは、明日のプロを目指すアマチュア・ミュージシャンにとっても、未来の創作活動における糧となる話だ。
「音楽にあっては、ユニークな感性こそが活きると思うんですね。活動しているとオトナの意見に出会う局面がある。でも、その意見に耳を傾ける必要はないんですよね。そのことは〈銀河〉を作っている時に思いましたね。あの曲は四季四部作の“冬盤”にあたる作品だったんですけど、そこまでの叙情的な流れから考えると、内容的には合わないって思ってたんです。でも、その〈銀河〉が結果的にはフジファブリックで一番のヒット・チューンになったんですね。そこで思ったのは、本人がそこに明確な何かを見ていたのなら絶対譲っちゃダメだということ。自分が見えているものはとことん追求した方がいいと思います」。
SINGLES 2004-2009
In-Stores 6/30
初回生産限定盤(CD+CD-EXTRA+DVD『FAB CLIPS 2』他) TOCT-26968
期間限定スペシャル・プライス盤 TOCT-26969
FAB BOX
In-Stores 6/30
TOBF-5675,76
ライヴ映像の他、レコーディング風景、オフショットなどの未発表映像を収めたDVD2枚と、全曲リマスタリング音源による『シングルB面集 2004-2009』、現在入手困難な限定プレ・デビュー盤『アラモルト』、カヴァーやレア音源を収めた『RARE TRACKS & COVERS』のCD3枚からなる完全生産限定のBOXセット

MUSIC
In-Stores 7/28
ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ
志村正彦の急逝によって制作途上にあった新曲群を、残されたメンバーとかねてからレコーディングに参加予定だったサポート・ドラマー、刄田綴色 (東京事変)の手によって完成させた、レーベル移籍第1弾となるニュー・アルバム