ビースティ・ボーイズのメンバーで、チベタン・フリーダム・コンサートを主催したミラレパ基金、映画製作・配給会社オシロスコープ・ラボラトリーズの設立者でもある、ミュージシャン、ラッパー、活動家、監督のアダム・ヤウク (Adam MCA Yauch)が5月4日、3年近くに及ぶ癌との闘病の末、地元ニューヨークで死去したことを深い悲しみとともにお伝えします。47歳でした。
ニューヨーク・ブルックリンで生を受けたヤウクは、高校時代に独学でベースを学び、17歳の誕生日パーティーのためにバンドを結成。それが後に世界にその名を轟かせたビースティ・ボーイズの始まりでした。
ヤウクとマイク・ダイヤモンド(Mike MIKE D Diamond)、アダム・ホロヴィッツ(Adam ADROCK Horovitz)の3人からなるビースティ・ボーイズは、累計4000万枚を超えるレコードセールスを記録。発売したアルバムのうち4枚が全米ビルボード総合アルバムチャートで1位を獲得し、1986年のデビューアルバム『ライセンスト・トゥ・イル』は、全米1位を記録した史上初のヒップホップアルバムになりました。また、グラミー賞を3度受賞しているほか、「MTV Video Music Awards」では「MTV Video Vanguard Award(Lifetime Achievement Award)」を受賞。先月にはロックの殿堂入りを果たし、式典に出席できなかったヤウクに代わり、ダイヤモンドとホロヴィッツが受賞スピーチを行いました。
ビースティ・ボーイズのメンバーとして『ポールズ・ブティック』『チェック・ユア・ヘッド』『イル・コミュニケーション』『ハロー・ナスティ』など数々の歴史的アルバムを手掛けたほか、ヤウクは中国政府と人民解放軍によるチベット人の人権侵害に対する意識向上および反対運動を推進する非営利団体ミラレパ基金の設立者でもあります。ミラレパ基金は1996年にサンフランシスコのゴールデンゲートパークで行われた第1回チベタン・フリーダム・コンサートを主催。1985年のライヴエイド以降アメリカ本土で開催されたチャリティー・コンサートとしては最大規模となる、10万人の観客を集めました。チベタン・フリーダム・コンサートはその後10年近くにわたり、ニューヨーク、ワシントンDC、東京、シドニー、アムステルダム、台北など世界各地で開催されました。
2001年9月11日の同時多発テロ事件後には、ミラレパ基金主催のチャリティー・コンサート「ニューヨーカーズ・アゲインスト・ヴァイオレンス」がニューヨークのハマースタイン・ボールルームで行われ、ビースティ・ボーイズがヘッドライナーを務めました。収益金は、最も援助を受けにくい被害者の支援に尽力するニューヨーク女性災害救援基金と、ニューアメリカンのためのニューヨーク協会(NYANA)9・11基金に贈られました。
ヤウクはナサニエル・ホーンブロウワーという別名で、「ソー・ワッチャ・ウォント」「インターギャラクティック」「ボディ・ムーヴィン」「チ、チェック・イット・アウト」などビースティ・ボーイズの代表的なミュージックビデオの数々を手掛けました。また昨年は、アルバム『ホット・ソース・コミッティ・パート2』に収録された「メイク・サム・ノイズ」のための長編ミュージックビデオ「ファイト・フォー・ユア・ライト~リヴィジテッド」を本名名義で監督。イライジャ・ウッド、ダニー・マクブライド、セス・ローゲンが1986年当時のビースティ・ボーイズに扮し、様々な災難を経て最後にジャック・ブラック、ウィル・フェレル、ジョン・C・ライリー扮する未来のビースティ・ボーイズとにらみ合うという内容の30分間のビデオには、多くのスターが友情出演を果たしました。
映画製作への情熱と才能に導かれ、ヤウクは後にオシロスコープ・ラボラトリーズを設立。2008年に自身の映画監督デビュー作となるバスケットボール・ドキュメンタリー『ガニング・フォー・ザット・#1・スポット』をリリースして以降、同社はケリー・ライハルト監督の『ウェンディ&ルーシー』、オーレン・ムーバーマン監督の『ザ・メッセンジャー』、バンクシー監督の『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』、ランス・バングス監督とスパイク・ジョーンズ監督共作の『みんなの知らないセンダック』など、インディペンデント映画の名作を数多く配給しています。
遺族は妻のデチェンと娘のテンジン・ローセル、両親のフランシスおよびノエル・ヤウクです。
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