IRON MAIDEN / アイアン・メイデン

バイオグラフィー

L to R:
Adrian Smith エイドリアン・スミス<g>
Nicko McBrain ニコ・マクブレイン<ds>
Bruce Dickinson ブルース・ディッキンソン<vo>
Steve Harris スティーヴ・ハリス<b>
Dave Murray デイヴ・マーレイ<g>
Janick Gers ヤニック・ガーズ<g>

(c) 2010 Iron Maiden LLP. Photo by John McMurtrie

2011年 最新バイオグラフィー

2010年に発表した15作目のスタジオ・アルバム「The Final Frontier」(邦題:ファイナル・フロンティア)の大成功から引き続き、2011年もまたアイアン・メイデンのキャリアにおいて特筆すべき年になりそうだ。同アルバムは世界28ヵ国でNo.1を獲得し、アメリカでは彼らにとっての最高位となるNo.4を飾るなど、チャート上ではメイデン史上最大の成功作となった。2011年2月の時点で、バンドは2010年6月に始まった、特別仕様のボーイング757機Ed Force One(エド・フォース・ワン)で世界の空を股にかけた『The Final Frontier World Tour』を一旦終了した。この飛行機は、今回もまたバンド、スタッフ、そして総重量10トンに及ぶ舞台装置を載せ、正規パイロットでもあるリード・シンガー、ブルース・ディッキンソンの操縦で世界中を5万マイル移動した。メイデンは今回の世界1周の旅でも自らの限界に挑み、66日間で5大陸を巡り、シンガポール、インドネシア、韓国にも初めて飛んで公演を行った。加えて、2011年に入ってわずか2ヵ月後には、アルバム「The Final Frontier」収録楽曲“El Dorado”(邦題:エル・ドラド)でアメリカのグラミー賞ベスト・メタル・パフォーマンス部門を初受賞している。

海外では6月6日にリリース予定(日本発売は6月15日)の最新2枚組コンピレーションCD「From Fear To Eternity The Best Of 1990-2010」(邦題:フロム・フィア・トゥ・エタニティ  ザ・ベスト・オブ・1990-2010)で、その勢いは年内も続きそうだ。このCDは、今なお増え続けるメイデンの新たなファンに、バンドの過去8作のスタジオ・アルバムから選ばれた楽曲を探訪しつつ、英国最大の成功を収めたメタル・バンドが20年をかけていかに進化し成長してきたかを直に体験する機会を提供する。

4月末から5月末の短い休暇を挟んで『The Final Frontier World Tour』は再び動き出し、バンドは『Sonispher Festival』他、スタジアムでのヘッドライニング・ショウや、ヨーロッパ各地のフェスティヴァルやアリーナ公演を行った後、UKでアリーナ公演を数多くこなし、2011年8月初旬にロンドンで今回のツアーの幕を下ろすことになっている。その頃には、アイアン・メイデンは『The Final Frontier Tour』の開始から99本のショウを200万人以上のファンの前でプレイしたことになるはずだ。2011年の終わりにリリースが予定されるDVDには、2011年3月に実施されたアルゼンチンとチリでのショウからのライヴ映像がフィーチャーされる。

70年代半ばにベーシストのスティーヴ・ハリスが始めたアイアン・メイデンは、3作目(ブルース・ディッキンソンがヴォーカルになって初めての)アルバム、1982年の「The Number Of The Beast」(邦題:魔力の刻印)で世界を席巻する頃には、既にメタル界のブライテスト・ホープとして確実に認知されていた。続く10年間のメイデンは、80年代だけで7枚の新作アルバムに7度の世界ツアー、レコーディングにツアーにと休みなく明け暮れた。地球上で最もハードにツアーするバンドという評判を確かなものとし、アルバム・ジャケットやTシャツに必ず登場するバンドのマスコットのエディという見紛うはずもないキャラクターを伴ったアイアン・メイデンは、彼ら独自の世界を創り上げ、あらゆる文化、宗教、社会背景のファンを、深い説得力と前例のないプロ精神をもって迎え入れてきた。

1984年から85年にかけての長期戦になった『World Slavery Tour』、1985年、2001年と2度にわたる『Rock In Rio』でのヘッドライナー、1988年のキャッスル・ドニントンでの『Monsters Of Rock Festival』(10万7千人を動員した、今もって最大規模のイベント)といった金字塔を打ち立てたメイデンは、色々な意味で新たな基準を生みだす一方、自らも音楽面、視覚面での刷新を継続していった。

世界的にラジオ・プレイが単発のへヴィ・メタル特集番組に限られる中、今や数多いセレブなライフ・スタイルを主題とするメインストリーム系メディアや雑誌との付き合いを拒んでいるにも関わらず、このバンドはメタルを新境地へと導いてきた。1985年にはポーランドを始めとする鉄のカーテンの向こう側へ、1992年を皮切りに南米各国へ、2007年には中東へ、そして同年にはインド他、メジャーなバンドが訪れることが滅多にない、世界中の数多くの新たな土地へ、と。

90年代はヘヴィ・メタル・バンド全般にとって苦難の時代となったが、アイアン・メイデンは頑固に前へと歩を進め、1992年のアルバム「Fear Of The Dark」(邦題:フィア・オブ・ザ・ダーク)で好評を得るなど更なる成功をおさめ、1993年にはブルース・ディッキンソンの脱退をも耐え忍んだ。バンドは新シンガーのブレイズ・ベイリーと共に強力なアルバムを2枚制作した。徹底したツアーという彼らの信条を貫き、どのショウでもその実力を発揮し続けた。とは言え、アイアン・メイデン究極のラインナップが確立したのは1999年、ディッキンソンとギタリストのエイドリアン・スミス(1990年にバンドを脱退していた)が復帰し、ブルース・ディッキンソンがヴォーカル、スティーヴ・ハリスがベース、ニコ・マクブレインがドラムス、そして“3アミーゴス”・・・エイドリアン・スミス、デイヴ・マーレイ、ヤニック・ガーズ・・・がギターという6人編成になってからだ。このラインナップは、2000年のアルバム「Brave New World」(邦題:ブレイヴ・ニュー・ワールド)のリリース以降、新たな高みを極め、ますます恐れを知らず、大胆なまでにクリエイティヴになっていく。

2003年の多彩にして精巧なアルバム「Dance Of Death」(邦題:死の舞踏)と、それに続くダークで不敵な2006年の「A Matter Of Life And Death」(邦題:ア・マター・オブ・ライフ・アンド・デス〜戦記)は、いずれもファンと評壇の両方を魅了した。それぞれに伴うツアーでは、最初期のアルバム数枚から往年の名曲を再訪しつつ、一方では「A Matter Of Life And Death」アルバムを全曲プレイするという形で、無数の若い崇拝者を増やし、飽かず勢いを増していった。


かくして、メイデンの勇敢なる新時代は、2008年の『Somewhere Back In Time Tour』で驚異的な頂点に達した。2008年2月に始まったこのツアーは、まず正規パイロット資格を有するブルース・ディッキンソンが操縦する特別チャーターのボーイング757機Ed Force Oneで、インドからコスタリカ、オーストラリアからアルゼンチン、サンパウロから東京と、45日間で世界を5万マイル旅し、各国のテレビ・ニュースの見出しを賑わした。 このツアーの記録が後に、受賞作DVD「Flight 666」(邦題:フライト666)になる。2009年発表の「Flight 666」は25ヵ国で音楽DVDチャートの1位になり、同年、バンドはベスト・ブリティッシュ・ライヴ・アクト部門で初のブリット・アワードを手にした。これを評して、メイデンのギタリスト、デイヴ・マーレイが気の利いたことを言っている。「活動を始めた当初、俺達とスタッフ1人と機材をまとめて乗っけて移動していたオンボロのヴァンより、Ed Force One の方がマシなのは確かだな!」

ヨーロッパや北米をツアーするのみならず、『Somewhere Back In Time』ツアーでメイデンは89本のショウを5大陸38カ国の200万人のファンの前で披露し、それまで演奏したことが無かった国々との新たな関係を築き、世界に広がるメイデン・ファミリーの長年のメンバーである各国との絆を一層強化した。この冒険の圧倒的成功を受け、従来のツアーのやり方で望める以上に、数多くのファンとより早く、より広範囲に出会うにはEd Force One が考え得る最良の手段であるとバンドが確信するに至った。

31年の継続、8,000万枚を超えるアルバム・セールス、2,000回を超えるライヴ・パフォーマンス、心満たされた無数の観客、確かなクオリティのスタジオ・アルバム15枚、そして、その名に恥じないパワーを誇るアイアン・メイデンは、史上最高に影響力を持ち、尊敬を集めるバンドのひとつという栄えある地位を我が物にしていると言っても過言ではない。

翻訳:染谷和美