

ジュリー・ロンドン(本名ゲイル・ぺック)は、1926年9月26日にカリフォルニア州のサンタ・ローザで生まれた。
両親は、芸人で彼女も小さい頃からラジオ番組に出演。学校卒業後、マーティ・マルネック楽団で歌を歌い始める。
アラン・ラッド夫人の俳優エージェントのスー・キャロルの薦めで1944年から映画「ジャングルの妖女」他に出演、俳優のジャック・ウェッブと1947年に結婚、2人の娘を儲けるが1953年に離婚、一時精神的に不安定な時もあったが、1954年にボビー・トゥループと出会い立ち直り、彼が契約していたベツレヘム・レーベルで4曲を初録音するがベツレヘムは、それ以上の録音を拒んだので、トゥループは、リバティー・レーベルへ話を持って行き、1955年に初アルバム「ジュリー・イズ・ハー・ネーム」が録音される。その中の「クライ・ミー・ア・リヴァー」が大ヒット、一躍人気歌手となる。
1956年の「ロンリー・ガール」、「カレンダー・ガール」1957年の「アバウト・ザ・ブルース」等と毎年のように新作を発表。ジャケットは毎回彼女の魅力的なポートレイトを使い、リバティー・レコードの看板娘になった。同レーベル一本槍で30枚(ベスト盤を除く)のアルバムと29枚のシングル盤を作ったが、1968年にリバティー・レコードが活動を中止すると彼女も歌手生活からは半引退のかたちで退いた。ボビー・トゥループとは1959年に結婚している。1955年に映画女優業も再開して、「西部の人」、「女はそれを我慢できない」等に出演し「ローハイド」、「ララミー牧場」、1971年の人気シリーズ「エマ―ジェンシ―」等TVにも多く出ている。彼女は、引っ込み思案で内気な性格だったので大勢の聴衆の前で歌うことは好まなかったが、1964年に珍しく唯一度の来日公演を行っている。1981年の映画「シャ―キ―ズ・マシーン」のサントラの中の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が最後の録音になった。
彼女は、前年に亡くなったトゥループを追うように2000年10月18日に亡くなっている。
(高田敬三)