STAFF'S 自己満足リレー

元マネージャー・加藤隆司さんのFAVORITE曲
「ラストチャンス」

nishiyama
元マネージャー・加藤隆司さん

まずはサムエル初のベストアルバム発売おめでとうございます! そして東芝EMIのみなさま、サムシングエルスをデビュー以来大切にして頂いて本当にありがとうございます!! そしてそして今回やっと僕の名前がこのベストアルバムにクレジットされたこと、本当に本当に嬉しく思っています!!!これでようやく僕は成仏することが出来そうです(笑)

申し遅れましたがわたくしサムシングエルス二代目マネージャーだった加藤と申します。僕は1998年6月から同年12月末までのわずか半年間だけマネージャーをしておりました。ディスコグラフィーでいうとシングル『レコード』から『ラストチャンス』までということになります。

彼らとはじめて出逢ったのは確か渋谷のライブハウス『eggman』でのライブだったと記憶しています。そのステージを見て、彼らの音楽を聴いて感動と興奮で鳥肌たちまくり・・・一目惚れでした。ヒューマンで暖かみがある感じ。そしてポップでキャッチーなメロディーを三声でさらっとハモられたらヒトタマリもないわけです。 70年〜80年代のAORをむさぼるように聴いて育った僕は『トッド・ラングレン』のエバーグリーンな感じとか『SILVER』のメローなウエストコーストサウンドを彷彿とさせる彼らのサウンドの虜 になりました。
そして何よりこのメンバー3人の人間としての魅力。
「僕はこのバンドと心中してもいい・・」
サムシングエルスは僕が音楽業界に入ってから今日に至るまでに唯一そう想わせたアーティストでした。 これから先のマネージャー人生、僕はここまで惚れ込めるアーティストに再び出逢えるのだろうか・・そう思うといささかブルーになりますが・・(笑)

音楽ビジネスの世界でアーティストとして活動を続けていくことはとても大変なことです。 何故ならアーティスト本人も含め、係わるプロダクションやレコード会社や大勢のスタッフみんなが食べて行かないといけないから・・・
アーティストは常に結果を求められ、その結果はCDをリリースする度にセールス枚数としてリアルに数字として表れる。

つまり、ビジネスである以上収支のバランスを崩さないようにしなければアーティストとして存続することが出来なくなってしまう・・ しかし逆にいえばコンスタントに【みんなが食べて行ける分の】セールスがある限り、アーティストは生きていけるのです。

僕が彼らの担当になった98年、彼らに危機が訪れました。CDのセールスを上げなければレコード会社との契約更新ができなくなったのです。そんな時、NTV『雷波少年』の企画の話が持ちかけられました。 企画の内容を知り当初僕は怒りすら覚えました。TV番組の企画?!しかも解散を賭けるなんて冗談じゃない・・・と。
そのときサムシングエルスに携わっていた全てのスタッフは僕と同じ気持ちだったと思います。 怒ってみたところで無力な僕はただ自分の見解を述べる他に成す術がありませんでした。ただしこの企画を断った場合、他に【セールスを上げられる可能性をもった明るい材料の提示】が出来なければ、どのみちレコード会社との契約を更新することが出来ないのです。

もはや選択の余地はありませんでした。 勿論スッタフの間ではその企画に乗るか反るかの議論が幾度となく繰り返されたことは言うまでもありません。 最終的にはたとえそれがテレビ番組の企画であったとしても、テレビを見ているたくさんの人達にサムシングエルスを知ってもらえるチャンスだと考えました。 僕を含め所属事務所とレコード会社のスタッフはもちろん、友達や家族、日常生活の全てから隔離された空間で楽曲を作り、そのシングルがオリコン20位以内に入らなければ解散。

僕はとても怖かった・・・でも頭の中でどこかに勝算があった。 当時、NTV『雷波少年』の平均視聴率は10〜12%ありました。視聴率はあくまで統計学上の数字ですが、1%=百万人という基準値です。もし『ラストチャンス企画』がスタートしたとして、毎週この平均視聴率の数字が維持されれば[10%×1,000,000(人)=10,000,000]なんと一千万人の人間に【彼らの音楽と彼ら三人の人間として持っている魅力】を伝えることができると考えたわけです!!
当時のオリコンチャートの20位といえばだいたい2万5千枚前後のセールスが必要でした。 すなわち『雷波少年』を観ている一千万人の中でわずか0.3%の人がサムシングエルスを応援してくれさえすれば・・・と
それに必ず【彼らの音楽と彼ら三人の人間として持っている魅力】は多くの人の心を動かすことができるはずだ・・と。

当然彼らはそんな企画が水面下で進行していることなど夢にも思っていなかったわけで、僕の中にはいつも彼らのことを裏切っているような罪悪感が渦巻いておりました。そんななか『ラストチャンス企画』ははじまりました。いざ企画が始まってしまうと僕の頭の中にある勝算はいつしか『もし20位に入らなかったら・・・』という不安に侵食されていきました。何故ならそんな計算は机上の数字でしかないのですから。
日常生活の全てから隔離され、電話はもとよりテレビやラジオ、雑誌その他一切の情報も与えられない世界で約三ヶ月間彼らは戦い続けました。自分達の音楽生命を賭けて・・・。 彼らがどんな気持ちでその三ヶ月を過ごしたのか・・・想像を絶するものがありますね。 かくして彼らは戦い抜いたのです。

そして奇跡は起きた。
オリコンチャート初登場2位!!トータルセールスはなんと100万枚を超えたのです!! そのときの感動はどんな言葉をもってしても表現することができません。 しかし・・・・・
時を同じくして僕は会社から転属の辞令を受けました。 『コレカラナノニ・・・コレカラナノニ・・・コレカラナノニ・・・』 僕は大好きなサムシングエルスとお別れをしなければなりませんでした。 その精神的ショックから立ち直るのに一年以上の時間がかかったほどです・・・もちろん今ではまともな社会生活を送っておりますが・・(笑)

わずか半年間でしたが彼らと過ごした時間は本当に楽しかった・・・
僕は今でもこの曲を聴くと、彼らと苦楽を共にした半年間の幸せな日々の思い出と、ココロザシナカバで彼らと別れなければならなかった苦い思い出とが胸に込み上げるのです。 僕にとって、『ラストチャンス』はとてもメモリアルな一曲なのです。

最後に・・後日談ですが、サムシングエルスの『ラストチャンス企画』も無事に終り、僕も新しいセクションで心機一転忙しい毎日に追われていたある日のこと、僕の会社にメンバー三人が訪れました。そして照れくさそうに僕にリボンが着いたプレゼントを差し出したのです。
早速中を開けてみると、革のケースに覆われた『Zippo』のオイルライターが入っていました。 そして・・よくみると革のケースに焼印で描かれた文字が・・・!
 Ryuji Kato
 Thanks for your
 "Last Chance"
 Something ELse

nishiyama

(あまりに大事にし過ぎて一度も使っていない・・・。)
なんと彼らは自分達でお金を出し合い、『ラストチャンス』に携わったスタッフ達に、一人づつ、感謝の気持ちとひとりひとりの名前が入ったZippoライターを贈ってくれたんですよ!ちょっと感動する話でしょ・・・(感涙)『サムシングエルス』とはそういうヤツらなんです。

だらだらと長く書いてしまいましたが、僕の『自己満足』&『思い込み』に付き合っていただきありがとうございました。これからも『SomethingELse』の応援、よろしくお願いいたします。・・・では。

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