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| イルカのうた/イルカ・シュリークス時代/シュリークス | |
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TOCT-25112 |
「ダイヤモンドの原石」イルカと神部和夫。
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音楽の世界にもそんなものがあるのかと思われる方もいるかもしれないが、70年代のシーンを見たときに無視できないのが大学のキャンパスだろう。大学のサークルを通じて生まれた人間関係。まだそうした音楽に関しての情報も少ない時代だったのだから、同好の人間が集まって情報交換やお互いのレベルをチェックしあったりという場所はそういう所しかなかったこともある。東京で言えば早稲田大学がそういう場所の一つになる。早稲田の学生で作っていた企画構成研究会が、プロデュース研究会になり、そのメンバーを中心にして発足した事務所がユイ音楽工房だった。吉田拓郎やかぐや姫を柱に、後には長渕剛やBOOWYを擁し、フォークだけでなくロックにも強い影響力を持つ事務所である。 当時の学生サークルの特徴は、自分たちの大学以外にも門戸が開放されていたことだった。シュリークスは、早稲田のフォーク・ソング・クラブの学生で始まったグループである。リーダーの神部和夫は早稲田だったが、後にかぐや姫に加わることとなる山田パンダは、明治の学生だった。山田が加わった時には、シュリークスはすでにアマチュア・フォークの世界では名の通ったグループだった。(ちなみに68年にザ・フォーク・クルセダーズの二枚目のシングルとして発売される予定で、急遽中止になってしまった「イムジン河」を、「リムジン河」と原語読みのタイトルで発売していたのが、シュリークスの前身、フォーシュリークスだった。) シュリークスは山田パンダが加わった時が3人。女子美大の学生だったイルカが入って4人になり、山田パンダが辞めて神部和夫とイルカの2人になった。このアルバムはシュリークスとして最後のアルバムでありイルカが加わっている唯一のもの。曲の大半を彼女が書いており、メルヘンチックな世界は彼女ならではのものだろう。イルカはこのアルバム発売後、神部和夫プロデュースでソロとしてデビューする。吉田拓郎が書いた「クジラのスーさん空をゆく」はソロになってからも歌っている。「いつか冷たい雨が」は、結婚・出産後の79年の第一作のタイトル曲として再録音している。「川崎のキツネさん」は絵本にもなっている。イルカの原点となっているのがこのアルバムだろう。 田家秀樹 |