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| 紀元貮阡年/ザ・フォーク・クルセダーズ | |
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TOCT-25162 |
加藤和彦、北山修、端田宣彦の3人によるスーパー・フォーク・グループ。「帰って来たヨッパライ」を含むファースト・アルバム
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日本のポップミュージックの最大の事件と言って過言でないのがザ・フォーク・クルセダーズの登場だろう。1967年の秋のことだ。関西のラジオ番組で紹介された奇妙な歌が、ニッポン放送の人気番組「オールナイトニッポン」で紹介されて全国に飛び火し、アッと言う間に社会現象になってしまった。それが「帰って来たヨッパライ」であり、ザ・フォーク・クルセダーズだった。龍谷大学の学生だった加藤和彦が雑誌「メンズクラブ」の投稿欄に出したメンバー募集の告知に応募してきたのが京都府医大の北山修らだった。それが第一次フォークルと呼ばれている。このメンバーの一人が海外に旅に出るというので解散することになり、記念に作った自主制作アルバムが『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセダーズ』だった。その中に入っていたのがテープの早回しを使った奇想天外な曲「帰って来たヨッパライ」だった。この曲がメジャーレコード会社の東芝EMIで発売されることになり、一旦は解散を決めていたフォークルが1年間の期間限定のプロとして再結成される。その時に加わったのがはしだのりひこだった。 フォークルはオリジナル1枚、ライブ・アルバムを2枚残しただけで約束通り1年の活動で姿を消す。その唯一の貴重なオリジナル・アルバムがこれだ。日本のレコード史上最初のトータル・アルバムとなったのも、1968年7月に出たこの『紀元貮阡年』である。 ジャケットのイメージは、当時センセーショナルを巻き起こしていたアメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」のギャング・スタイル。1曲目に入っている「紀元弐阡年」は、「俺たちに明日はない」の主題歌だった「フォギーマウンテン・ブレイクダウン」のパロディー。「悲しくてやりきれない」や「花のかおりに」「オーブル街」や「何のために」のメロディーの美しさ、“ヨッパライ”2曲や「水虫の唄」「山羊さんゆうびん」の発想。アルバム全体を通してオリジナリティーとしか言い様がないアイデアと遊び心、そして、シャープな批評性に富んでいる。それでいて、全12曲中、10曲がシングルになっているというのも楽曲としてのポピュラリティーを物語っている。 フォークにもロックにも、プロとアマという概念にも収まらない。これだけ自由でこれだけ型破りで、これだけ潔く去っていったグループは、後にも先にもフォークルだけだ。 田家秀樹 |