Liner note
ともさかりえが、9年ぶりに音楽活動を再開する。彼女は、言うまでもなく、女優である。彼女自身も「本業は役者だと思っている」と語っている。それは、歌の場合であっても、あくまで役者として、歌詞を台本代わりに、楽曲になかに生きている女の子を演じているという意味だろう。だが、ニューアルバム『トリドリ。』は、彼女の内面やこれまでの経験、今、現在の心理状態や日常風景が色濃く映し出された作品となっている。彼女は「音楽に向き合う姿勢に変化はない」と言う。とすると、台本(曲)のほうが変わってきているのだろう。
96年4月にシングル「エスカレーション」で歌手デビューを果たした当初は、シンガーとしても、与えられた役柄を全うすることに意識を集中していたように思う。97年にリリースした1stアルバム『un』は、ディーバ全盛の時代にあって、フレンチポップやニューソウルのテイストを加味した良質なポップスアルバムとなっていたが、全作詞を秋元康氏が手がけていることもからも分かる通り、当時18歳の彼女をアイドルとして売り出そうとしていた形跡が見てとれる。同年12月には“さかともえり”という、生身の彼女とも女優とも違う、全く別のキャラクターを作り出し、アルバム『さかさま』を発表した。音楽に対しても演じるというスタンスを崩さなかった彼女にとってエポックとなったのが、98年にシングル「幸福論」でデビューした椎名林檎との出会いだろう。所属レーベルも年齢もともにする椎名と親交を深めた彼女は、椎名の1stアルバム『無罪モラトリアム』と同日となる99年2月に、2ndアルバム『むらさき。』をリリースした。この作品は、YOU、古内東子、種ともこ、鈴木祥子、具島直子というガールポップの王道をいく作家陣のなかで、デビュー間もない椎名が“シーナ・リンゴ”として、「カプチーノ」「木蓮のクリーム」「シャンプー」の3曲を提供している。1stアルバムとのいちばんの違いは、椎名を含め、全曲の作詞を女性のアーティストが手がけたこと。同性が手がけた歌詞によって、演じ手として共感できる幅が広がり、説得力が増したことは間違いないだろう。それでいて、聴き手が自分の姿を投影できる間口も持っているという微妙なバランスの上に成り立った名作であるのだが、特筆すべきは、やはり、アルバム先行でリリースされた3rdシングル「カプチーノ」のカップリング「木蓮のクリーム」にある。当時まだ10代であったともさかと椎名がどのような関係にあったかは知らないけれども、ふたりだけが共有している秘密のようなものが、ほどよい湿度と情感をもって伝わってくる。ともさかにとっての椎名は、音楽活動においては初の、“あてがき”できる脚本家だったのではないかと思うのだ。そう考えてしまうくらい、これまでとは違い、心の声に近いような表情が垣間見えた。そして、同年10月には初のベストアルバム、00年3月にシーナリンゴが作詞、作詞、作曲、編曲に加え、ジャケットの撮影も担当した3曲入りのシングル「少女ロボット」(当時の紙ジャケには椎名も登場している)をリリースし、出産を控えた椎名が休養に入る時期と同じくして、彼女の音楽活動はゆるやかに休止した。
そして、9年間のインターバルを経て制作された3枚目のアルバム『トリドリ。』は、彼女発信で動き出した、オール“あてがき”の作品となっている。「30歳を迎える記念に、自分が素直に楽しいと思えることをやってもいいんじゃないかと思った」という彼女は、監督で脚本家となる作家陣の椎名林檎、伊澤一葉、浮雲(以上東京事変)、ミト、原田郁子(ともにクラムボン)、おおはた雄一らに自ら連絡し、「みなさんが“思い描く私”を自由に作ってください」というリクエストだけを伝えた。だから、オールあてがきと言えども、それぞれの関係や距離感によって、彼女の見え方は違っている。10代の終わりに出会い、ともに結婚、出産を経た男児の母親同士でもある椎名は、「都会のマナー」で強くしなやかに働く女性のあり方を提示する一方で、「子供の情憬」は、「息子が母親のことをほめてくれるのは今だけよ」なんていうふたりの会話が聞こえてきそうな、母から子へ向けた愛のうたとなっている。伊澤、浮雲の男子たちは、ともさかの眼差しに少女性を見ているように思う。アプローチの仕方は違えども、ともにドラマチックでドリーミーなラブストーリーとなっているのが興味深い。原田郁子による「GOOD DAY GOOD BYE」は、仲のよい女友達という距離感。“ぼくら”と歌うミトによる「カーテンフォール」は、同じく子をもつ親のひとりとして、ともさか親子を見送っている視点で、ミトの発案で参加した木村カエラによる「Mother goose」は、やはり母親であるともさかをイメージした内容となっている。また、元エスカレーターズのZOOCOによる「ずっと」は、スタッフの提案により提供された楽曲だが、結果的には、彼女の最もナチュラルな女優として、母親として、ひとりの女性として。同性、異性、年上、年下と様々な角度から見た“ともさかりえ像”が収められた音盤は、サウンド的にもかなりジャンルレスでカラフルだ。アルバム・タイトルの『トリドリ。』は、サウンドや歌詞が“色とりどり”という意味の“とりどり”だと思うが、もうひとつ、声の表情を含めたレコーディングにおいても、様々な“録りどり”にチャレンジしていることを明記したい。特に東京事変を従えた「都会のマナー」と、アルバムの幕開けを飾る「カーテンフォール」は一発録りで、ほどよい緊張感のなか、歌に自分をさらけ出す度合いがぐっと高まっているのが分かる。レコーディングを終えた彼女が「私自身の生活や抱えてるものが全部丸写しになった」と語ったように、本作は、彼女が役柄という服を脱いで、29歳の今、感じている喜びや悲しみ、出会いや別れを素直に表現した、最も素顔に近い作品となっているのだ。
取材・文/永掘アツオ